1919年に隣町にある明延(あけのべ)鉱山から採掘された鉱石を選別するために選鉱施設として建設された選鉱場跡です。
当時「比重選鉱技術」と「浮遊選鉱技術」は国際的にも高い評価があり外国からも視察団が訪れるほどの注目度も高く、山の斜面を使用した機械選鉱場はそのスケール・産出量ともに「東洋一」と謳われたそうです。
現在、ここを訪れるとまず、2つの巨大な円形コンクリートの非濾過分離装置(シックナー)が出迎えてくれます。
また、シックナーの隣には、「ムーセ旧居」があり、明治4年12月ごろに建てられた外国人宿舎のひとつがムーセ旧居である。
ムーセ旧居は鉱山開発に携わったフランス人技師「ムーセ」の妻帯者の居住宿舎として使用されていたそうです
神子畑選鉱場跡の全体風景
今では「神子畑選鉱場」と呼ばれているが、かつては「神子畑鉱山」としての役割も果たしていた。
その後に「神子畑選鉱場」として再び可動したと言われています。
旧神子畑鉱山事務舎(ムーセ旧居)付近
ムーセ旧居は、鉱山開発に携わったフランス人技師「ムーセ」の居住宿舎として使用されていました。
神子畑鉱山跡地
神子畑鉱山は、1987年まで操業されて平成16年まで建屋も残されていたが、老朽化で危険との理由で取り壊されたそうです。
幅110m・奥行き165m・上から下までの高低差が75mの斜面に建てられていた。
ビルの高さに置き換えると約22階建ての高さがあったとされています。
一円電車(名神電車)
昭和20年に、明延鉱山から神子畑鉱山まで全長約6キロの道のりを往復しトロッコに鉱石積んで運んでいたが、後に従業員と家族の交通の便をはかるため客車も造られました。
正式名は名神電車。
昭和27年から料金を1円として運行されたそうです。
その理由としては車掌も駅員もいない電車のため釣り銭を払うなどの問題を解消したのと同時に一日の集計で何名が電車を利用したのか分かりやすくするためだったそうです。
シックナー(非濾過分離装置)
鉱石から必要なものを取り除いた跡に残った物質(不要鉱石)の水分を取り除き固体粒子にする装置です。
固体粒子となった物質はもう一度、鉱山での作業場などのとして、再利用されたり発掘した場所などへ埋戻しを行ったりしていたそうです。
神子畑小学校・体育館跡
当時の神子畑の人口は、1,300人。
鉱山と自体が中心となるまちづくりのインフラが整っていた。
当時の校庭にある遊具は、神子畑鉱山に務める人たちの協力によって作られたオリジナルの遊具だそうです。
※写真は体育館手前に校舎が立っていたが取り壊されたそうです。
神子畑保育所跡
神子畑小学校の隣りにある保育園。
保育園も当時の遊具がそのまま残っています。
銀杏の大木
樹齢300年とされる、大銀杏の木です。
静かに神子畑鉱山の地域を見守ってきたご神木とされる木です。
神子畑選鉱場エリアマップ
エリアマップは巨大な濾過装置(シックナー)とムーセ旧居の間にあります
鉱石の道ガイド「岸下さん」
今回、神子畑エリアや竹田城跡などの取材協力をしていただいた「鉱石の道ガイド認定者の岸下 定さん」
誰にでも解りやすく、楽しい説明をしてくださるユーモアなガイドさん。
朝来市の遺産に対する情熱も感じられるとても温かい人柄の方です。
※ガイドさんをお願いするとガイドブックに乗っていないお話なども聞けて、より理解力も深まります!
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